東日本大震災から6年です。

部外者の私にとって、「もう6年も経ったのか」というのが正直な思いです。

数日前にちらっと見たネットのニュースで、「被災者然としていなければいけない苦しみ」というようなインタビュー記事を読みました。

その方は被災して、北海道の親戚の所に避難してきたのだけど、音楽を聴くことさえ、「人の助けを借りて生きている身で、しかも自分より辛い思いで避難生活をしている人も大勢いるのに、音楽という娯楽を楽しむことに罪悪感を抱いていた」というような内容でした。

おそらく当時、この方だけでなく、被災された方で同じように思っていた方も少なくないんじゃないかと思って、胸が苦しくなりました。

でも、こんなこと、思う必要ないんですよね。

数年前の朝ドラで、「誰かの苦しみが、他の誰かの苦しみより深いなんてことはない。あなたはあなたで苦しかったし、私は私で苦しかった。あなたの苦しみはあなたのものでしかないし、私の苦しみは私のものでしかない。それでいいじゃない。」というニュアンスのセリフがありました。

他の誰かと比べて自分の苦しみが大したことない、と思う必要は全く無くて、自分は自分なのです。

そう思うことで前に進めるパターンもあるとは思うけど、罪悪感を抱いてしまうのは良くない。

人は人。自分は自分。

あなたの悲しみや苦しみは、あなたのものでしかありません。

もっと言うと、「ただ生きてるだけでいい」んです。

人の役に立っていないとか、助けがないと生きられないとか、生きる意味を見出せないとか、生きている価値なんて、考えなくていいんです。

例えば、2011年3月11日に生まれた子は今日で6歳だけど、この日に生まれた意味を日本人は紐付けたがるけど、意味なんてない。

2011年3月11日に生まれた子だって、ただ生きてくれたらそれでじゅうぶんなはずです。

ただ、寝て起きて、ご飯を食べてお風呂に入ってまた寝て起きる。

それだけでじゅうぶん。

生きるのは凄く困難で、めんどくさくて退屈で、辛くてしんどいけど、でも、生きてるだけでいいんです。

音楽を楽しむことに罪悪感を抱いてしまうなんて、こんな悲しいことあります?

人の目なんか気にせずに、楽しんでいいんです。

日本人だから、どうしても人と比べてしまうし、どうしても罪悪感は抱いてしまう。

せめて、6年経った今、そういう思いが薄れて、自分の苦しみは自分のものとして、1年経つごとに少しずつでもできるだけ平穏に、そして楽しく過ごせることを願ってやみません。

部外者なので、何を言うにも軽々しく言える立場では全然ないんだけど、今日思ったことをそのまま書きました。

最後におまけ。

今日の新聞ラテ欄。

NHK


HTB(テレ朝系列の北海道ローカル)



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